ワルン・ロティ日記4

日々感じたこと、パンとワインに関する最新の話題はたまたグルメ情報など
自由にたのしくつづる日記帳。
業界騒然!さて、何が飛び出すやら。

2018.07.18

セア村は昔は小麦の大生産地だった・・

さて、ではもうちょっと他のパン屋もさがしましょ〜と、 歩き出しましたら、グーグルマップに、ここにもパン屋があるって 出ている場所には・・ う〜〜ん、文房具屋さんかなああ・・よろず屋さんかなあ・・、   とにかく、入って聞いてみることに・・ そうしたら、そこにいたおじいちゃん・・ 「パン屋かい?」と、奥のおばあちゃんと顔をみあわせて・・   どうやら、知ってるパン屋まで歩いて案内してくれることに・。 さっすがエリコ嬢のスペイン語と明るい人柄のおかげですね・・。 (写真に写ってるサングラスのカッコイイのがエリコ嬢、背の高い男性が銀座オジャリアの高橋シェフ、スリムな男子が神楽坂エスタシオンの野堀シェフ)   歩きながら、いろんな事を話してくださいました。 「ここ、セア村には17のパン屋があるんだ。昔はもっとあったのさ。だからセアの村はいつも煙がもくもくだった。 みんな薪を燃やした石窯で焼くパン屋だからね。いまもセアのパンは石窯で焼かないと名乗れない。 スペインではじめて原産地呼称を穫ったパンさ。他の村や町でもセアに追いつこうと、呼称を穫ろうとがんばってるけど、まだまださ。 セアの小麦? 昔はこの辺いったいがみんないい小麦が穫れたのさ。ところがフランコ政権の時に大きな道路がつくられて、 じゃがいも畑に変わったのさ。いまは、もう少し北のリニアが小麦がよく穫れる生産地さ・・・」   なるほど〜、やっぱりセアはいい小麦が穫れるエリアだったんだ! でないと、なぜ、この周りになにもない小さな村がパンの村なのか解らなかった。   それと、巡礼の経由点なの。 ポルトガルからサンチャゴ・デ・コンポステーラを目指す人達が、セアでおいしいパンを食べて一息ついたのですって。 その巡礼者たちがクチコミで、「セアはパンがおいしい・・」と、伝えてきたのですって。   そう、その日はオオワダはセアに泊まる予定にしていました。 宿は「巡礼のためのちいさな宿ですが・・」と、あらかじめ連絡をもらっていたの。 ブッキングコムで予約したんだけどね。 どうやらその日も巡礼の人達がステイするらしい・・と、 あとでオーナーに聞いたのだけど・・。   とりあえずは、パン屋の話に戻りましょう。 その案内してくれたオジサンは、へネロスさん。「天才」という語彙だそう。 なんと、行き先のパン屋は、へネロスさんの娘さんが焼いてるパン屋さん。

途中、セアのパンの看板がある。ちょっと坂を上がったところ。
「あれは、ひとりで焼いてる男の人のパン屋さ。彼は朝早く焼いて、パンを持って市場に売りにいくのさ。
 そういうパン屋はたくさんある。だから、いまの時間では、やってるけどしまってるパン屋がおおいんだよ。」
なるほど〜、まだ朝11時、焼き上げて、売りにいくとは・・。いったい何時から仕事??
ワルンロティと同じ朝2時半なのだろうか・・。
でも、オオワダにはそのあと売りに出る力は残っていない・・。

  お話をききながら、歩くこと10分ぐらい、すでに村の集落からちょっと離れてる。
パン屋が見えてくると
「ほら、あれが孫だよ、薪を集めて窯にくべるようにする仕事をしてる。薪はよく乾燥させないとダメなんだ。 松の木でね。薪の仕事もとても大切・・」と。